山と人 〜森に木を植えよう〜

ども。お久しぶりです。

九州は焦らしに焦らされた梅雨に、今度は悩まされております。

豪雨の被害に遭われた方には一刻も早い復興を

そしてまだ続くと言われる梅雨時期にこれ以上被害の無いよう

心からお祈りいたします。

 

土の塊、水の塊が流れってくるってのは恐しい。

人がどう足掻いても太刀打ちはできませんわ。

いきなり来られても太刀打ちができないから、日々の積み重ねが大事です。

 

というわけで、はい。木のお話です。

雨水を溜め込み、土を固定するのが植物の力

何より

今、この大雨の原因となっている温暖化現象。

その元凶である二酸化炭素まで固定しちゃうってんだから植物ってほんとすごい!

 

でも、最近、ハゲ山が増えてきた気がしません?

 

「自然破壊だ!」「森を守れ!」

 

という声が聞こえて来そうだが、私は一概にはそうとは思わない。

 

その理由をお話しする前にちょっとだけ。

 

今の日本にある杉の木は戦後に杉を植える事業の中で植えられたものらしい。

私の住む菊池市旭志村にある鞍岳。ここは昔、阿蘇のようなススキの草原とマツタケが取れる赤松林があったそうだ。

終戦後、「木を植えればお金がもらえる」という時代があり、その時にわざわざ山の木を切り倒して植えた。畑だったところにも木を植えたなんて話があったそうです。(あ〜もったいない!)

 

日本の森とは人が作り出した巨大な人工物、民家・農耕地を含む大きな庭園ではないかと私は考えます

 

人工物であるのなら、人が正しく手を施し、整備しないことにはどんどん劣化していってしまいます。

 

劣化してしまえば、崩れてしまうのも当然です。

 

大雨や地震により地面が崩れ、土石流が発生すると、そこに住む人々には甚大な被害となりますが、

 

地球を人の体と例え、その規模で考えれば、もしかすると

 

「角質がとれた」

 

くらいの感じなのではないか?

そう、私たちは地球の表面に住む小さな生き物です。

アウストラロピテクスから数えても400万年の歴史の人類。

異常気象というけれど、46億年の地球から言わせれば日常茶飯事なのではないでしょうか?

昔から各地で雨や土石流による自然災害は発生しています。そして今後も起きるのでしょう。

 

ただ、ここ数年、「異常気象が頻発するという異常事態」な気もします。

 

どうも、調子が今までとは変わって来たようです。

 

お肌の調子でも悪いんでしょうか?

 

「角質」といえばお肌。お肌の異常には保湿と角質除去、そして冷気で毛穴をキュッと引き締めなければなりません。

 

私はそれこそが「森の木を切り、新たに木を植える」ことだと感じています。

木も古い大木より、若い木の方が勢いがあります。水を蓄え、二酸化炭素を固定できるポテンシャルも若いからこそあるのです。

そして、切り出した木を上手に使うことで二酸化炭素を長い間固定する。

そうすれば、自ずと「日焼け止めクリーム」、オゾン層が復活する事でしょう。

 

その営みのサイクルこそ、人が地球に住み続けられる唯一の方法だと思うのです。

 

急斜面、急流、大雨の多い日本において、「山を管理する」というのは慈善活動や義務ではなく、生活の一部でなくてはならないと思う。

管理に手が回らなくなってしまった場所は、もう、人が暮らしては行けない場所になっていくだろう。

しかし、今、山に関わることができる人材と時間、財源がどれほど残っているだろう?

 

一番良いのはそこに、経済活動が成り立つようになっていく事である。

それよりも、ロボットで管理してしまう未来の方が先かな?

今までの生活を残していきたいのであれば、どうすれば良いのか?

早急に考え、行動しなければ、いけない時代なのかもしれない。

 

だらだら、長々と書いてきて何が言いたいのか?

 

私は植木屋だ!

 

『木を植えよう!!!!!!!』